岡部タカノブ
岡部タカノブ さん
「経験は必ず人生の糧になる。」という言葉が印象的だった。
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伊藤佑真
伊藤佑真 さん
2010年12月に新人シナリオライターの登竜門である第36回城戸賞に準入賞(ベスト3に入る)を果たす。
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丸田栄造・あつし
丸田栄造さん・あつしさん
夜景フォトグラファーとして活躍する丸田あつしさん、そして親として多大な影響を与えたグラフィックデザイナーの栄造さん(下八町出身)
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丸田栄造・あつし-グラフィックデザイナー・夜景フォトグラファー

Posted in アーティスト―須坂の財産「ひと」

丸田栄造氏(右)(有限会社マルタアドバタイジング 代表取締役)
1939(昭和14)年1月、下八町生まれ。
高甫小学校、墨坂中学校を経て須坂商業高等学校を卒業。
画家になりたい夢を捨てきれず卒業後決まっていた就職先を断って当時長野西(女子)高校の美術の先生、洋画家・辻村八五郎(光風会・日展審査員)に弟子入り。画家になりたいなら外(東京とかフランスなど)に出なさいとの言葉を受け、卒業した年の12月に上京する。3交代の工員、グラフィックデザイン会社、畜産専門商社などを経て、1968(昭和43)年に丸田デザイン研究室を設立。1979(昭和54)年に法人化。現在に至る。

丸田あつし氏(左)(夜景フォトグラファー/デザイナー)
1968(昭和43)年2月 埼玉県生まれ(栄造氏の次男)
多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業、同大学院中退、1994(平成6)年にマルタアドバタイジング入社。

有限会社マルタアドバタイジング(スーパー夜景サイト)
夜景検定
工場夜景探検(iPadアプリ)

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Q この事務所からの眺望は素晴らしいですね。夜景もまた綺麗でしょうね。
A(栄造氏) ええ、それは見事ですよ。スカイツリーも東京タワーも両方見られますから。
1968年に事務所を構えたのは神田神保町でその後、日本橋、神田小川町、そしてここ勝どきに移ってきたのは7年前のことなんです。

Q これまでどんなお仕事をされて来たのでしょうか。
A(栄造氏) 3交代の工員時代は尾久(荒川区)にある旭電化(現アデカ)で、食用マーガリンの製造、ネームプレートの工場では現場と営業のかけ持ち。その後デザイン会社に転職したのですが、そこは喧嘩をしちゃって辞めまして(笑)、その次は東西産業貿易という会社で輸入畜産機器と種鶏・採卵鶏雛の広告宣伝(デザイン・印刷発注担当)業務をしていました。入社当時は26人程の会社が8年後の辞める頃には600人を超える規模になり、大変に勢いのある会社でしたね。
独立開業してからもずっと、35年以上その会社の宣伝業務の請負を続けてきたんです。その間にもクラウンレコードや松坂屋、東京フィルハーモニー交響楽団のポスター・チラシのデザインや地図出版会社の仕事では表紙のデザイン等をして来ました。

Q あつしさんはやはりお父さんの影響でこの世界に入ったのですか?
A(あつし氏) はい、そうですね。実は子どもの頃にボーリングに行った時のことです。そのトイレにあった紙に父が新幹線の絵を描いてくれたのですが、それに随分感動して、、、。
写真とは大学時代の授業で出会いました。デザインをしながらも写真に魅せられて、今では夜景フォトグラファーということです。

Q 丸々もとおさん(夜景評論家)はお兄さんですよね。
A(あつし氏) はい、兄は立教大学の観光学科を経て、ぴあ、リクルートで仕事をしていましたが、サラリーマンをしながらも夜景に関する出版をしていまして、その後独立して世界初の「夜景評論家」になったということです。
丸田デザイン研究室が1987(昭和63)年に東京地図出版の「大阪・神戸のみどころ」という旅行ガイドブックの取材編集の仕事をパッケージで受けまして、兄も大学生の時バイトで現地取材とコピー制作に関わりました。
最初に出版社に就職したのも、そんなことがきっかけだったのでしょうか。その後、七賢出版の「東京夜景」シリーズを手掛けていくんですが、「東京夜景2」からは僕が写真を撮るようになったのです。
今では夜景関係の書籍が30冊以上になっています。

Q 最近、あつしさんの写真をつかったiPadアプリの「工場夜景探検」を買いましたよ。
A(あつし氏) ありがとうございます。出版以外にもWEBサイトやフォトレンタル、携帯用コンテンツなど幅広く事業を展開しています。

Q お父さんは須坂で生まれ育ったわけですが、何か子供時代のことが今に影響していることってありますでしょうか。
A(栄造氏) 「惻隠(そくいん)の情」という孟子の言葉をご存知でしょうか。簡単に言うと親が子を思う心のことですが、私の内では「あわれみの心」を持ち、常に周囲の人と共生することが大切であると理解しています。
昔は春になると「おもらいさん」が良く家に来ましてね。その日の食を求めて一軒一軒、家を回るのですが、母は決して追い返してはいけないと言うんです。「あれは彼らの仕事だから、あるものを少しあげて帰ってもらいなさい。ただし、たくさん渡すとたくさんもらえる家だけ回るようになって効率ばかり考えて仕事を怠けるようになる、だから少しだけですよ。」って。このように、自分の前に困った人がいたら、自分のできる範囲でいいから手を差し伸べて、、、と教えてもらいました。最近は弱者を守り、相手を“思いやる心”や相手の心情を理解する日本人の優しい心が少なくなってしまいましたね。最近の社会問題をみていると「惻隠の情」の大切さを痛切に感じます。

Q いろんな観光関係書籍の取材や編集を手掛けてきたそうですが、ズバリ「須坂のみどころ」があるとしたらどんなことでしょうか。
A(栄造氏) 道路や蔵の街並みの整備などが進んで綺麗になってきましたが、そのあとどうするか、観光資源を発掘、開発してどう活かすかということですよね。実は須坂には43もの寺院があるのをご存知でしょうか。これってすごく多いと思うんです。これを活かせないかな?と考えています。それぞれのお寺には歴史もあって、寺宝としての由緒深い仏像や絵画・書・彫刻などが豊富にあるでしょう。それぞれの寺のご住職に法話や講話をしてもらうバスツアーなんかをしたらどうでしょうか。これは厳しい戒律を守るために受け入れない寺院もあると思いますが、人間性を高める為にも、また郷土愛を深める為にも意味のあることですから、須坂がいいスポットになるんじゃないですかね。

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写真でも紹介したが、34階からの眺望の素晴らしい事務所は東京駅からもほど近い勝どきにあった。優しい語り口の丸田栄造氏のお母さんの話、そして父の影響を受けた二人のご子息が活躍している姿を見て、親の影響がいかに大きいかを改めて感じるとともに、普段の自分の言動も気を付けなければ、と誓うのであった。
(2012.2.26)