持田澄子
持田澄子さん
第一線で活躍する女性科学者に贈られる猿橋賞を「神経伝達物質の放出機構の研究」で受賞(1999年)。
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竹内 誠
竹内 誠さん
須坂人には情報収集や発信力のあるDNAが息づいている。
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持田澄子-東京医科大学教授

Posted in 学術系―須坂の財産「ひと」

持田澄子氏(東京医科大学教授 細胞生理学)
1952(昭和27)年5月、東横町生まれ。
森上小学校、相森中学校、長野西高等学校を経て北里大学薬学部を1975年に卒業。
東京医科大学助手となり研究を進め、1999年に第一線で活躍する女性科学者に贈られる猿橋賞を受賞。

★東京医科大学 細胞生理学講座 http://www.tokyo-med.ac.jp/physiol/
★モーツァルト・アンサンブル・オーケストラ http://orchestra.musicinfo.co.jp/~MEO1984/

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ホームページによると、持田先生の最近のテーマは、
研究分野:培養下で形成されるシナプスを用いた神経伝達物質放出のメカニズム、および伝達物質受容の研究
研究課題:神経伝達物質放出、シナプス小胞サイクルを制御するシナプス前終末蛋白質、および伝達物質受容に関与するシナプス後細胞蛋白質の機能解析
主な方法:リコンビナント蛋白、部分ペプチド、遺伝子を培養ラット上頸交感神経節細胞シナプスに導入して、シナプス伝達の変化を電気生理学的、およびイメージング手法を用いて解析

ん~、難しい。

Q 生理学ってなんだか難しそうですが、この道に進むきっかけがあったら教えてください。

A 高校1年の生物の授業で光合成の話を熱心に教えてくれる先生がいたんですよ。葉っぱ一枚の中でたくさんの化学反応が起こっている、あたりまえだけど、それは見えないところで起きている。それがとても印象的だったんです。高校2年でも化学の授業は楽しかった。

Q それで薬学部に進んだということですね。

A ま、母からも女性は手に職を付けた方が良いとアドバイスもあったのですが、実は動機はちょっと不純なんです(笑)。実は高校時代はクラブ活動に明け暮れていたと言ってもいいくらい。高校に入って始めた「チェロ」の演奏なんですけどね。部活のために学校に行っていたといってもいいくらいなんです。薬学部に進学することは考えてはいましたが、単科大学より総合大学の方が室内楽やオーケストラができるんじゃないかと考えまして、、、。それで北里大学を選びました。今でもモーツァルト・アンサンブル・オーケストラに所属して活動もしているんですよ。

Q 大学の先生をしながら趣味でオーケストラもされるってとても忙しいんじゃないですか?

A 実は医学部は普通の大学と違って就職指導ってしなくていいんですよ。だから研究と教育のバランスから言うと研究が主になるんです。教員というよりその道のスペシャリストであることが重要なんですね。コツコツと研究するのは大好きなんですが、やはり息抜きも必要なんです。毎朝、新聞を読んで、チェロの練習、大学で仕事、家に帰ってチェロの練習、そして本を読んで寝る。という毎日です。最近は原発に関することや東電の福島原発への政府の対応などに興味があって新聞を良く読んでいます。

Q 須坂でも思い出があったらお聞かせください。

A 子どもの頃はまったく普通の子だったと思います。6歳から高校卒業まで日本舞踊をやっていまして、刑務所への慰問や祇園祭などに出演していました。市民文化祭にもよく出ていましたよ。絵を描くのも好きで臥竜公園写生大会では何度も入選しましたね。
思い出の場所ということになると芝宮の太鼓橋でしょうか。子ども心にも大きくて急な橋でしたから、絶対に渡れない橋だなぁと思ったものです。大人になってもあれは渡れませんけどね(笑)。
高校2年の時に母が「味由」というお好み焼き、鉄板焼きのお店をオープンしまして、大学の頃は長期休暇にはよく手伝っていました。先日須坂で講演会をしたときには母の知り合いやお店の常連さん達がたくさん来てくれてびっくりしました。母の存在は大きかったなぁとつくづく感じました。
須坂は私にとって「帰る場所」なんです。決して特別な場所ではない。母は亡くなりましたが、やはり須坂は「帰る場所」です。人と人とのふれあいがあることで、自分がリフレッシュできる唯一の大切な場所です。最近は町中の人通りが少なく残念ですね。もっと元気になって欲しいと思いますね。

Q 持田先生はこれまで生理学の研究を続けてこられ、またこれからも更に頑張っていかれると思うのですが、何か夢をお持ちでしたら聞かせてください。

A そうですね。これからは若手をどんどん育てていきたいと思っています。研究というものの面白さを伝えて、研究を自ら切り拓いて発展させていく、そして世界に通じるような若い研究者を育てることができればと思っています。

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インタビューを終えて駅までの道を訊くと、田舎者で土地勘がない私を察して、結局駅まで10分ほどの道のりをご一緒くださった持田先生でした。医科大学教授という私にとって未知な世界の方ですが、気さくでとても優しい持田先生にはぜひとも今後も素晴らしい研究を続けてもらいたいと思ったのでした。
(取材2012.1.27)