牧貞夫-NTTコミュニケーションズ株式会社
牧貞夫氏(NTTコミュニケーションズ株式会社 代表取締役副社長)
1952(昭和27)年8月、立町生まれ。
須坂小学校、相森中学校、長野高等学校を経て東京大学経済学部を1975年に卒業。
電電公社に入社、広島、新潟、北海道、熊本など全国各地に赴任、また1979~81年には、アメリカのシカゴ大学ビジネススクールに留学、2010年6月より代表取締役副社長となる。
★NTTコミュニケーションズ株式会社 http://www.ntt.com/
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Q アメリカ留学では経営について学ばれたということですが。
A はい。経営全般なので、マーケティングや財務など幅広く勉強しましたが、実戦でも留学経験を活かして国際畑が長かったですね。電電公社はもともと電話事業が99%を占めていましたが、ご存じのとおり民営化されるときに新しい分野を事業化しようということで、随分そういうことに関わってきました。他にもM&A分野なども担当しましたからNTTの中ではかなりユニークな経験を積んできたと思っています。
Q ほんと、幅広いですね。昨年の1月には須坂でも講演いただいて、私もお聞きしましたが、最近、またはこれからのITについて少しお話しいただけますか。
A IT化は本当にすごいスピードで進展しています。インターネットの普及はもちろんのこと、クラウドコンピューティングやスマートフォンの普及も目を離せないですね。企業、行政、個人、もう社会全体が変わっていますし、これからもどんどん変わっていくでしょう。音楽CDなどは音楽配信、書籍もインターネット上での販売はもちろん、電子書籍も出てきている。生保や損保などもオンラインでの販売が主流に変わっていくでしょう。こういう流れはもう至るところで起こっていて無視できないし、これらの技術(ICT)活用がこれからの成長戦略のカギであると思っています。
Q 日本におけるICT(Information Communication Technology)の重要な部分をNTTコミュニケーションズ様が担っているとお聞きしていますが。
A そうですね。例えば、世界中のインターネットの基幹網、IPバックボーンネットワークを持っているわけですが、世界で2位の規模になっています。実は東日本大震災直後には電話がなかなか繋がらなかったわけですが、あの時は、みなさんインターネットを使って情報を得ていました。ツイッターもずいぶん活躍しましたが、あのデータ通信は日本から一度海外に行って、また戻るというルートを辿っていました。それらは私どもの海底ケーブルやデータセンタ、IPバックボーンが使われていたというわけです。回線だけでなく、IT化を支える様々なサービスや技術、また、ユニクロ様など海外に進出する日本企業のプライベート・ネットワークやICTシステムの構築・運用をお手伝いさせてもらっています。
Q 牧さんは国際担当ということで様々な国に行っていると思うのですが、世界から見た日本という国はどんな風にみえるのでしょうか。
A 日本はいい意味でユニークですよね。人や文化はとてもいい。しかしグローバル化という波には乗り遅れている気がします。これは日本の中の長野県人と同じことが言えるのですが、日本は島国であり、長野は山国。そういう意味では両方とも閉鎖的な一面がある。政治的にも議論ばかりでアクションが少ない。アジア各国のように思いっきりの良い決断をスピーディに行う事が必要だと思います。ユニークなものを持っているのだから、それを戦略的にアピールしていくことが重要だと思います。
Q 具体的にはどんなことが考えられますか?
A ブラジルでは日本料理店がブラジル料理店より多いし、アジアや米国ではブランドラーメンや和菓子、コンビニがブームになっていますが、日本の果物はあまり見かけないですね。また、ドバイの日本風居酒屋では築地から直送の新鮮な刺身があったりします。ブラジルでは普通のサラリーマンが昼食に1,500円も払うのが普通だったりします。日本ではワンコインが流行っているのに(笑)。だから、まだまだ日本の物が海外に出ていくチャンスはたくさんあるはずです。須坂でも(黄色い桃)やナガノパープルなど良いものがたくさんありますが、内輪受けで満足してはいけません。積極的にチャレンジして世界に、特に中国やアジアに知られるようにしていかないと。
Q ありがとうございます。須坂市民はもっともっと頑張らないといけませんね。いま、世界を舞台に活躍する牧さんですが、須坂で生まれ育ったことが今の自分にどんな影響を与えていると思いますか?
A 小中学校ではいい先生に恵まれました。そして地域の人々にも育てられた感じがします。最近ではあまり降らなくなったようですが、当時は雪も多くてね。そんな中で遊んだことで体を作った気がします。空き地もたくさんあって、野球に興じていましたし、学校では雑巾がけの仕方など、基本的なしつけをしてもらったと思っています。地域(コミュニティ)はある意味、家族のような存在でした。そんな環境の中で育ったことが自分の基礎となっていると思います。そういう故郷にはこれからもどんどん頑張ってもらいたいと思います。
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東京は浜松町駅前のビルにあるNTTコミュニケーションの応接室からは浜離宮や行き交うJR、高速道路が眼下に広がっている。グローバル化が叫ばれている昨今だが、大企業に限らず田舎の中小企業にもチャンスはある。「積極的に」という言葉を何度も使う牧さんに励まされ、これからも須坂を拠点に一層頑張っていかないとならないのだと痛感した。
(取材2012.1.27)